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2015年5月。

ある一通のメールが届いた。

今日という日まで、

ここまで心を揺さぶられることになるとは

思わなかった。

始まりは突然だった。

メールの送り主は、

250キロ離れた福島県いわき市。

「いわき市立桶売中学校」

正直聞き馴染みのない地域で

当時校長先生であられた、高橋国雄先生からのものだった。

通常の学校公演のように、

音楽鑑賞教室を、そして、和太鼓の体験。

さらにそこに地域に伝わる伝承芸能の

「鬼ヶ城太鼓」

の指導をして欲しいとの内容だった。

言うなれば

「余所者」

が地域の芸能に携わるということに対し、

若干の戸惑いも当時はあり、

しかし滅多に出来ない経験となるだろうと

すぐに返信をした記憶がある。

少し飛んで

2018年11月の末日。

桶売に向かう車内で、この3年半を思い返していた。

いつものようにSAのスタバに寄って、

いつものようにお気に入りの場所を通って、

少し色付いたいつもは見ることの出来ない、

厳しい冬へと向かう前の、色付いた美しい紅葉を見ながら、

その想いを馳せていた。

数えれば数えられるほどしか通っていないこの道は、

すでに行きなれているような心持で、

最近は向かうことが楽しく、そして嬉しく、

しかしそれだけでない、何かを学べる期待感のような感覚もあり、

高揚感を押し殺しながら(紅葉だけに・・)そこへ向かう。

今回の目的は指導ではなく、

11月11日の慰労会へのサプライズ登場。

公演には桶売中学校在校生だけでなく、今回は卒業生も加わり、

そのみんなが集まれる日として急遽決まったものだった。

実は1年前の奇しくも同じ11月11日。

桶売中学校の生徒は東京台場にいた。

本年度同様、

「子どもがふみだすふくしま復興応援体験事業」

の一環として、台場で発表と演奏を披露していた。

地元の収穫祭や、施設、文化祭や運動会での演奏機会はあったものの、

こういった場所での経験は浅く、正直不安も多かった。

話しは戻って2015年。

初めて送られてきた鬼ヶ城太鼓の映像や、

実際に伺って拝見した際、どう手を付ければいいのか正直試行錯誤だった。

単発の体験活動なら、その魅力や「触れる」ということに重きを置いて、

邦楽なら「そんなにみんなが思ってるような入り口じゃなくて大丈夫!」

といった身近に感じていただくような活動が出来る。

ただ当時はこれから継続的にといったプランもまだ無く、

ましてや「伝承芸能」と言われると闇雲にいじってはいけないという考えもあった。

あまり言い過ぎてかえってかき乱して混乱させてしまうと良くない。

しかも生徒たちがどういった心持で、どの程度の熱量で、

この芸能に関わっているのか。

そういったことも手探りな状態で、お互いが緊張感があったことも覚えている。

「あの指導で良かったのだろうか・・・。」

そんなことを考えていた矢先、まだ1ヶ月も経っていなかったと思う。

再び桶売から連絡が来て、次年度も。

という話になった。

当時の教頭先生の服部明彦先生は、

1つ1つのお仕事が丁寧で、書類やその説明も無駄がなく、

淡々とこなす物静かな印象ながら、熱い想いのある先生だった。

翌年は文化庁の芸術家派遣制度。

昨年は前述の県事業を採択するに至ったのも、

服部先生なくしてはならなかったことだと思います。

部活動の指導ではない、

ましてや250キロ離れた学校に未決定とはいえ、

継続的な指導というとてもレアなケースが始まり、

年に数回ではあるけれども、今後を見据えた指導に展開することが出来て、

生徒達も少しずつ打ち解けてきてくれて、

先生方や保護者の方々、地域の方々も温かく毎回迎えていただき、

まさに1年目で種を蒔き、2年目で水をやり、3年目で花を開かせる。

そんな環境を皆さんが作ってくださったと思っています。

台場での演奏は想像を超えてとても堂々としたもので、

「この子たちは緊張の仕方すら知らないんじゃないか(笑)」

と思ったほどだった。

その事業を推し進めていただいたのが現校長の大野勝彦先生。

とにかく実行力と決断力があり、ただ決してワンマンではなく、

見えない部分で優しさや細かな気配りができる、そして何より

子どもたちにとって~を1番に考えられる素晴らしい先生だと思っています。

畑中先生は、私たちが指導に伺うとその内容をつぶさにメモをとって、

いない時に指揮をふるってくださる先生で、

伺うたびに「ここはこうした方が。」「ここはもっとこう。」

とその場で変更したことを引き継ぎ次回までに整えてくださる先生。

この先生の導きがなかったら子ども達はもっと悩んでいたと思うし、

今の鬼ヶ城太鼓は無いとも思っています。

もちろん他の先生方も親身に寄り添っている様子は

短い時間の中でも肌で感じていますし、本当に尊敬しております。

桶売まで指導に行ってくれた奏者の皆さんにも

親身になってご指導くださって本当に感謝しています。

そして何よりも担い手となっている在校生、

11月の公演ではさらにその卒業生も加わり、

皆しか出来ない鬼ヶ城太鼓を作ってくれました。

幕開けでの復興の紹介のスピーチ。

私はもうこの時点でダメでした・・・。

11月末に行った際、

みんなが一言ずつ私にくれた感謝の言葉があったのですが、

その中に何人かがこんなことを話してくれました。

「最初は太鼓をすることがあまり好きじゃなかった」

まずこう本音を飾らずに言ってくれたことが嬉しかったし、

前述の通り、この芸能に対する熱量や想いは生徒達からも感じ方はまちまちで、

それを感じていたのは正直なところでした。

嫌ならやらなくてもいい。

と切り捨てることは簡単かもしれないし、

学校教育の中に普通は太鼓は組み込まれていないもので、

技術を求めるのか、その先の見えない結果や成果を求めるのか、

それは指導者に委ねられる部分だと思います。

自分でも感じるのは、この特殊な指導の環境で、

担い手たちに、そして鬼ヶ城太鼓に関わってくださっているすべての方々への

相乗的な「想い」の繋がりが少しずつ変わっていったと思います。

頼りなかった子が威風堂々と舞台に立つ姿を目の当たりにし、

不安を隠しきれなかった子がそれを感じさせず、

ちゃらんぽらんに見えた子がいつしかリーダーシップをとっていたり、

いつしか「皆で成功させよう!」という雰囲気が生まれ、

それが技術だけではないものとしていかんなく発揮され、

まさに「心を打った」太鼓だったと思います。

「最初は太鼓をすることがあまり好きじゃなかった」

といった子達は、前回、そして今回の東京公演で何かが変わり、

「好きになった」「楽しくなった」「今後もやりたい」

と続けて伝えてくれました。

好きじゃないものを好きにさせたい!

なんて厚かましいことを思っていたらきっと通じたりはしなかったし、

彼らは自分たちでそれに気づいて、自分たちで成長していった。

すべての方々に感謝の気持ちをもって取り組んだ結果が、

彼らの中で大きな財産となって、誇りとなった様子が見えた。

私は何よりもそれが嬉しかった。

たくさんの想いが積み重なって、

その想いが演奏の節々から感じられる。

私はこの子ども達と、そこに関わってくださったすべての方々に

言い表せない感謝と、そしてこちらが誇りをいただいた気がします。

過疎化、少子化が進み、今後この芸能をどうしていくべきか。

子ども達からもたくさんの意見が出ました。

そういった現実的な問題とも向き合ってくれたこと、

本当に素晴らしいことだと思います。

私が理想として持つ、

「太鼓を通じて」

といった部分をこの子たちはすでに歩んでくれています。

苦しい時期や辞めたいと思っていたこともあったけど、

でもやってて良かった。

ありがとう。

本当にありがとうございます。

いつもたくさん色んな事を教えてくれて。

皆は、皆さんは私の誇りです。

また笑って会おう!


和楽器集団「鳳雛」

兒玉 文朋

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