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「もったいない」

という言葉を指導の中で使った。

「もっと出来るのにもったいない」

と。

今日も教わった。

それは自分へ使うべき言葉だったと。

もっと出来ると思ったなら、

なぜもっと出来るようにしないのか。

その投げた言葉はただの見た目であって、

そこまでの自分をかばっただけに過ぎないと思った。

「あーもっと時間をかければこう出来るのに・・・。」

なんてださいにも程がある。

皆が平等に流れている時間の中で、

この日、この時間、この場所で、

自身で決めておいて、

そこを否定する。

自分で自分が情けなく感じてしまった。

「不安だったけどなんとか出来た」

なんてただの偶然でまぐれ。

「本番でいつも以上のことが出来た」

それも捉え方によっては偶然で必然じゃない。

自分は稽古で出せないものは本番では出ないと思っている。

まぐれや奇跡がおきて欲しいなんてハナから考えない。

でも、

想像を超えた空間を創ることは出来る。

あの眩しい程の照明と、

たくさんの観客の視線を浴び、

高鳴る鼓動と、

まわりの息遣い、

飛び交う音と振動。

様々なものに、

稽古で積み重ねてきた音や間、

何よりも過ごしてきた時間と、

そこに懸ける想い。

その相乗効果こそ

「想像を超える力」

であって

「必然」

成るべくして成った

と言えるだろう。

自分は満足なんてしちゃだめだ。

がんばらなくていいは自分は使っちゃだめだ。

一緒に創りあげてくれるみんなのためにも、

応援してくれている皆さんのためにも、

自分のためにも。

もっと頑張らなきゃ。

もっとやりたい。

もっと上手くなりたい。

もっと上手くなって欲しい。

もっと上手くさせたい。

もっと拍手が欲しい。

もっと良い舞台にしたい。

もっと笑顔がみたい。

もっと素直になりたい。

もっと叫びたい。

もっと優しくなりたい。

もっといい男になりたい。

もっと高くとびたい。

もっと好きになりたい。

もっと幸せにしたい。

もっと幸せになりたい。

もっと生きたい。

だから

もっと無様になろう。

和楽器集団「鳳雛」

兒玉 文朋

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