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文京区根津の「松屋書店」という本屋さんによく通っていた。

小さい頃はそれこそ漫画が目当てで、その品ぞろえの多さに、

良く胸をときめかせていたものだ。

自動ドアが開き、いつもの紙の香り。

入ってすぐ右にはレジカウンターがある。

そこにいつもいたのが浅田さんだ。

親ほど離れた年のその男性は、小さかった私は少し怖さも感じていた。

ある時こんなことがあった。

小学校高学年の頃だと思う。

私はある本を読みながら店内を移動したことがあった。

(今思えば何をしたかったのか・・・。)

はっと気が付いたら浅田さんが私の後ろに立っていた。

もちろん私は叱られた。

他のお客さんもいて、私は本を戻し、そそくさと帰った。

不思議だったのはそこから敬遠するわけでもなく、

私はまた松屋書店に出かけていた。

その頃から私は浅田さんと会話をするようになった。

歴史に興味を持った頃、浅田さんはおすすめの本を教えてくれたり、

それこそ何気ない会話をするようになった。

奥様の成子さんもいつも優しい笑顔で私を迎えてくれた。

中学、高校になり、前ほど通えなくなった私だったが、

それでも顔を出すといつも気にかけてくれた。

成人して、ある時衝撃の事実を知った。

「ここ閉めることにしたんだ。」

閉店の日、半分下りたシャッターをくぐると何人かで本を片づけていた。

その中に浅田さんご夫妻を見つけた。

浅田さんは私を見つけるとなんとも言えない表情でこう言った。

「好きな本なんでも持って行ってよ。」

私は何も考えられず2,3冊の小説を頂いた。

帰り際、浅田さんの奥様は泣いていた。

浅田さんも涙をこらえていたように見えた。

今でもその顔は忘れることができない。

その後少し疎遠になったが、2008年のコンサートの際に、

松屋書店のあったマンションに浅田さん宛に案内を入れた。

私は浅田さんがそのマンションに住んでいると思い込んでいたのだが、

実は違う場所に住まわれていて、わざわざ管理人さんが浅田さんに手紙を

届けてくれたらしい。

そんな優しさもありながら、浅田さんはコンサートを観に来て下さった。

楽屋にスタッフから連絡があり、私は浅田さんと再会した。

その時のご夫妻の顔も今でも鮮明に覚えている。

またこのご夫妻の為にも良い作品を創ろうと強く思えた。

昨日成子さんから手紙が届いた。

ご主人が亡くなったとの知らせだった。

私は一気に浅田さんの笑顔や、会話、書店のことを思い出し、

思わず涙がこぼれた。

浅田さんは本を愛し、人を愛していた。

よく考えればそこまで深い付き合いではなかったのかもしれない。

ただ、私は浅田さんという、かけがえのない人に出会えた事に感謝している。

また頑張ろうと思えた。

今週は父の一回忌。

いつかまたどこかで。

合掌

和楽器集団「鳳雛」

兒玉 文朋

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