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たくさんの人が行き交う様子を見て、

「ここにいる人達すべてに人生があるんだ」

と思う方は少なくないと思います。

私はこうして演奏や指導に携わるようになって十数年が経ち、

様々な経験がすべて今に繋がっていると思っております。

お寺の子として生を受け、打つことはほぼ無かったものの、

太鼓のある環境で育ち、家族、両親と過ごしたこと。

小さい頃に父に連れて行ってもらった太鼓の公演の衝撃。

野球が好きで小さい頃から身のこなしを知らず知らずに学んだこと。

ピアノやブラスバンドで音楽の基礎を学んだこと。

学生時代に一度行けなくなった書道教室に今もお世話になっていること。

芝居という形で舞台に立っていたこと。

たくさんの奏者に教わった技術や在り姿。

人生の先輩や後輩、生徒からの言葉やそのすべて。

すべての人達に様々な記憶と経験があって今この瞬間。

私には1人の大切な恩師がおります。

物心がつく前からお世話になっているある男性です。

私の生家のお寺でお世話になっている石屋さん(石材店)の方で、

私に野球を教えてくれた方です。

といっても、幼稚園や小学生時分なのでキャッチボールや、

バッティングとも呼び難いただのフリーバッティングです。

要は遊んでくれて、面倒を見ていてくれた方です。

構えてくれたところにボールがいくと、

「バシン!!あー!いい球だ!!」

と笑顔で投げ返してくれて、

隣の家に飛び込む球を打つと、

「おー!ナイスバッティングだ!!」

と塀を乗り越えてボールを取りに行ってくれて、

打球がその人の股間を直撃しても、痛がりながらも

「勘弁してくれよぉ」

と言って、野球の楽しさを教えてくれた大切な方。

ある時、その方と2人で球場に野球観戦に行きました。

どんな試合展開かは全く記憶にありませんが、

売店で食べ物や好きなチームのグッズを買ってくれたことと、

グローブを持って、ボールが飛んでこないかと、

ワクワクな気持ちとドキドキしていたことは覚えています。

夜遅くに家まで送り届けてくれて、母がその方に、

「ありがとうございました」とお礼を言った後、

その方は母から渡されていた、おそらくお礼や自分の食事代などの封筒を

渡されたそのままの姿で母に返していました。

もちろん子どもの時なので、それがお金だったのかも、

それが渡されたそのままの金額かも分かりませんが、

あの光景を思い出す限りそうなのだと思います。

今思い出したのですが、あの時売店で、

「ちゃんと渡されているから」

と好きなものを買ってくださった。

でもそのお金をその方は使わずに、自分のお財布からぼくに買ってくださった。

背が低くがに股で、少ししか振り返らずに手を振り、

歩くたびに左右に揺れながら帰っていくその姿はとても頼りがいがある背中に見えた。

野球を教わる傍らで、不器用な、しかし粋でかっこいい男も教えてくれていた。

中学に進み、身体も大きくなり、球速も上がっていたある日、

「久しぶりに朋くん投げてみろ」と言われた。

投げた球はその方のミットをはじき、少しバランスを崩した。

「もう捕れねぇや」

そう言って仕事に戻っていった。

慣れた手つきで道具を使い、こぎみ良いテンポで

カンカンカン!カンカンカン!カンカンカン!

と石を打つ。

その日を最後に二度とキャッチボールはしなくなった。

それでも事あるごとに

「朋くん元気か!」

「太鼓どうだ?」

とそのきれいな眼で真っすぐに私を見て話しかけてくださって、

いつも気にかけてくれていた。

太鼓を打つ動作やフリは野球に共通する動きもあって、

今こうして生きている根本を作ってくださった方だと思っている。

今年はじめ、体調が良くないという話を伺った。

2回目にお話を伺った先日の際は、

夏までもたないかもしれない。

そんな耳を疑う話に困惑しながらも、来週お見舞いに伺おうと思っていた。

ぼくはバカだった。

とんでもない後悔を今している。

何を差し置いても飛んでいくべきだった。

その方のお気持ちを尊重して、今の姿を見られたくなかったとしても、

たとえまわりに常識がないと思われて、怒られても、

ぼくは行くべきだった。

少し細くなったその顔はとても安らかだった。

いい思い出しか残っていない。

嫌なことが1つも見当たらない。

なんて素晴らしい人だった。

これからもずっと生き続けるその方に、

いつもありがとうございます。

合掌

兒玉 文朋 拝

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