「アタリマエ」
「アタリマエのことをアタリマエに」
とよく高校時代の野球部の監督に厳しく言われたことを
今日また思い出した。
そこには
「アタリマエ」
の個性は無く、
「アタリマエ」
という言葉の中にすべてが集約されていた。
その分、
「アタリマエ」
の意味をまだ若い自分たちは必死で
2つ、3つ先のことまで考えていたつもりだ。
決して
「これがアタリマエだ!」
なんて押し付けがましい言葉は一切言われた記憶は無い。
すべて自主性に任せられ、行動までもまた然りだった。
このお仕事をやっていると
「独特の世界だから」
と言う言葉をよく聞くが、
畑が違うかもしれないが、そこには「アタリマエ」が存在する。
その「アタリマエ」を受け継いできた人達を
自分は踏みにじりたくないと常に思っている。
「そんなアタリマエ知らないし。」
という態度からは敬意を感じられないが、
「あぁ、そのアタリマエに気が付かなかった。」
と思えるならまだ生かす材料になると思う。
自分自身新しいものへの挑戦や、創造を常に意識している。
ただ受け継がれてきた「伝統文化」というものは
カタチを変えている者こそ、
心のどこかではなく、中心にどっかりと大事にしていきたいと思っている。
こうして演奏活動をたくさんの場所で行い、
たくさんの方々と接して、色んなお話をさせて頂く中で、
「アタリマエの伝え方」
の重要性や、その難しさを再認識させられる。
時には自分にはそんな大それたことは出来ないのでは、
とか、
その悩みの末になんとも言えない虚脱感に襲われたりもする。
やがて空虚となった気持ちは我を取り戻し、
再び同じ問題に突き当たる。
1つの行動や1つの言葉、
1人のすべての1つがたくさんの1つを与え、
また繰り返されていく。
「アタリマエ」
の問題は
「アタリマエ」
に直面し、
「アタリマエ」
になる。
1つにつながる答えのはずが、
「アタリマエ」
に増える。
考え実行に移すと
「アタリマエ」
の増え方は変わるかもしれない。
自分を冷静に見つめ、
大事なのは客観的にみること。
「アタリマエ」
の伝え方を、演奏以前に大事にしたい。
和楽器集団「鳳雛」
児玉 文朋
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