現実
2008年3月21日、僕の大好きな近所のお寺さんのおばさんが亡くなった。
おばさんは僕のおばあちゃんのいとこにあたる人で、僕が産まれた時からとてもかわいがってくれていた。
3月19日に倒れて、僕は20日おばさんがいる病院へ行った。
僕の叔母が19日に車で病院に入り、付きっきりでいた為、車を引き取りに行った。
そこでそのお寺の住職さんから現状を聞いた。
僕は何を言っているのかさっぱり分からなかった。
絶対また顔をくしゃってさせて「朋ちゃ~ん」って話せるって僕は心底信じていた。
だから僕はおばさんとは面会せずに車で家に戻った。
だって絶対また話せるって思ってたから。
その日のうちに母と叔母から住職さんと同じことを聞いた。
それでも僕は信じなかった。
揃いも揃って同じことを。
受け入れたフリをして、僕は認めなかった。
風の強い、長い一夜をこえて、おばさんは亡くなった。
母からその言葉を聞いてもまだ受け入れられなかった。
涙を流せば僕の中でおばさんのことは現実になってしまう気がしたから僕は泣くのをこらえた。
昼を過ぎておばさんのいるお寺に行った。
何も考えていなかった。
お寺に着いて、気丈にふるまう住職さんに促され、
僕はおばさんに会った。
襖の向こうにおばさんは寝ていた。
本当に眠っているようだった。
今にも起き上がって「あら、朋ちゃん来てたの?」って言い出しそうだった。
「朋が来たよ~」
と僕は言ったが、ひんやりとしたその部屋は静まり返っていた。
「なんだ来たのに寝てるの~??」
と続けて言ったが、そこには変らない部屋があった。
僕の叔母が
「おばちゃん寒いの嫌なのにね。ちょっとここ寒いわね。」
と言った。
僕は
「そうだね。起きあがって文句言うかもね。」
と返した。
しばらく沈黙の後、叔母が
「お線香あげなさい」
と言った。
僕はそれに従いお線香を1本手にとった。
その時すべてを受け入れてしまった。
堰を切ったように僕は泣いた。
それでもおばさんは起きてくれなかった。
あまり声は出さなかった。
この現実をどう受け入れればいいか、僕は泣いたのにまだわからない。
鳳雛
児玉 文朋
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